会津若松市戊辰150周年記念事業

京都守護職拝命写真

▲ 衣冠束帯の松平容保公

会津・桑名の両藩による京都の治安維持

開国をめぐり徳川幕府と尊王攘夷派が対立し、京都の街が混乱している中、幕府は治安維持のために京都守護職を置くこと決めました。いくつかの藩が候補に挙げられる中、会津藩第九代藩主 松平容保に白羽の矢が立ちました。
松平容保は自身の健康上の理由や藩の財政を圧迫することへの懸念、家老西郷頼母などからも反対の声があがり、一旦は京都守護職への就任は固辞していましたが、「家訓十五カ条」の“徳川将軍家への忠誠”を指摘され、松平容保はこの家訓を守り、文久2年(1862年)、京都守護職を拝命しました。そして、文久2年(1862)容保は、兵約1千名の精鋭を引き連れて京都三条大橋をわたり京都へ入り、黒谷金戒光明寺に本陣を構えました。幕府は桑名藩主松平定敬(容保の実弟)を京都所司代に任命し、会津・桑名の両藩による京都の治安維持がはじまり、容保兄弟は尊王攘夷派の恨みを一身に受けることになりました。

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