会津若松市戊辰150周年記念事業

鳥羽・伏見の戦い写真

▲ 鳥羽・伏見の戦い

新政府軍が掲げる「錦の御旗」

1868年(明治元年(慶応4年))1月、新政府軍の薩摩藩西郷隆盛は幕府を挑発する目的で、江戸の薩摩藩邸に浪士を集め市中でゲリラ活動を行い、江戸取締の庄内藩の営所を襲撃しました。旧幕府軍は庄内藩らに命じて江戸薩摩藩邸に報復攻撃を行いました。その報を受け江戸へ向かった大阪の旧幕府軍は新政府軍と鳥羽、伏見街道で接触し激戦となりました。旧幕府軍は、新政府軍の約3倍の兵力を有していたにも関わらず、新政府軍の最新兵器に対し劣勢な状況でした。徳川慶喜と松平容保ら一行は、密かに海路江戸へと向かい、これを知った会津藩士たちもやむなく撤退しました。
また、新政府軍はこの戦いで、天皇を象徴する菊の御紋が入った“錦の御旗”を掲げたことにより、これに逆らい戦うことは“官軍”にたてついた“賊軍”となってしまいました。これにより徳川慶喜の追討が命じられ、ついに旧幕府軍は賊軍として追われる身となり、多くの藩においても旧幕府軍を見限り、新政府軍側へつくのです。

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会津藩9代藩主 京都守護職

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