会津若松市戊辰150周年記念事業

奥羽越列藩同盟写真

▲ 二本松城

東北や越後の諸藩、34藩が団結

春には旧幕府軍は、迫りくる官軍に対し、江戸城の無血開城を決断し、江戸城は戦わずして落ちました。しかし、新政府軍は仙台藩などに会津討伐の命を下しました。
会津藩においては、戦争をしないために、新政府軍に恭順の意を申し入れますが受け入れられませんでした。
1868年(慶応4年)閏4月、東北諸藩では、会津藩の正当性を訴えましたが聞き入れられず、新政府軍の下参謀を惨殺し、東北や越後の諸藩が白石城に集まり、団結して抵抗することを表明し、34藩からなる「奥羽越列藩同盟」を結成しましたが、新政府軍の進攻の前に、早い段階で新政府軍へ恭順の意を表明する藩も現れました。
新政府軍はあくまでも会津討伐を掲げ、兵力を増やしながら北へと進軍していき、北越戦争で旧幕府軍を陥落させ、さらに、白河城での激しい攻防に勝利し、二本松城へも落城させ、会津の地での会津戦争へと突入していきます。

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