会津若松市戊辰150周年記念事業

母成峠の戦い写真

▲ 会津戦争新政府軍進攻の様子

意表をついた新政府軍の攻撃

雪が降る前に会津を落としてしまおうという考えから1868年(慶応4年)8月20日には新政府軍に会津攻撃の命令が下りました。
四方を山に囲まれた会津盆地であるため、会津藩は兵を分散させ防御していました。会津藩が新政府軍の進攻入口として特に警戒し兵を固めたのは、南西の会津西街道(日光口)と南東の勢至堂峠(白河口)、さらに当時の主要街道で二本松と会津若松を最短で結ぶ中山峠(二本松口)でした。しかし、意表をつき新政府軍は、東部の藩境である母成峠を3000もの兵を引き連れ攻撃しました。支城である猪苗代城を拠点とした会津藩士が要所を守ろうと応戦し、新選組副長だった土方歳三などの援軍も加わりましたが、兵士数や武器に勝る新政府軍から守り切れず敗走しました。

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松平 容保
会津藩9代藩主 京都守護職

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秋月 胤永
幕末でも活躍。明治の教育者