会津若松市戊辰150周年記念事業

白虎隊自刃写真

▲ 白虎隊自刃図 穂積朝春筆

忠誠を尽くした隊士たちの悲劇

16~17歳からなる白虎隊。戸ノ口原の戦いにて敗れた白虎隊士中二番隊のうち、本体とはぐれた20名が、滝沢峠を抜けて飯盛山に辿り着き、城下を見下ろしたところ、城の周辺の各所で火の手があがり、城は黒煙に包まれ、砲撃の音を聞き、鶴ヶ城が落城したと錯覚します。隊士は家名を重んじ、忠誠を尽くす会津藩校日新館の教え通り、その場で全員が自刃しました。
このうち、飯沼貞吉は、通りが立った人に助けられ、1931年(昭和6年)まで存命しました。
戊辰戦争後、会津藩は朝敵とされ白虎隊士の遺骸も埋葬を許可されず、密かに妙国寺に仮埋葬されました。明治2年にようやく飯盛山の中腹に合葬がゆるされ、その後自刃19士の墓が建ちました。

関連する先人

松平 容保写真

松平 容保
会津藩9代藩主 京都守護職

飯沼 貞吉写真

飯沼 貞吉
自決した白虎隊の唯一の生存者

日向 内記

日向 内記
白虎隊士中二番隊 隊長