会津若松市戊辰150周年記念事業

斗南藩成立写真

▲ 斗南に向かう会津藩士一行の図

会津藩の激動の時代の終わり

1869年(明治2年)、版籍奉還が行われる中、会津松平家は、生まれたばかりの容大を当主として松平家の再興を許されましたが、領地として旧領内の猪苗代湖畔、もしくは、北奥の旧陸奥南部藩領のいずれか三万石を提示されました。その際「農業により領地の財政基盤を築け」との条件があったため、農業に有利である思われる領地の広い北奥への移住が決定しました。
新しい藩名は「斗南」と命名され、旧藩士と家族1万7千人余りが移住しましたが、そこは雪や風が厳しく、米もほとんどとれない不毛の土地でした。しかし、一生懸命開墾したり学校をつくり教育に力をいれるなど挫けず生活をしていました。
1871年(明治4年)、新政府は廃藩置県を行い、斗南藩も斗南県となり、藩知事だった松平容大も東京へ移住となったため、心のよりどころを失い不毛な斗南の地に希望を持てない会津人の多くがこれを機に全国に散って行き、会津藩の幕末から明治にかけての激動の時代は終わりを迎えました。

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松平 容保写真

松平 容保
会津藩9代藩主 京都守護職