会津若松市戊辰150周年記念事業

鶴ヶ城天守閣取り壊し写真

▲ 若松城天守東

昭和40年に再建されるまで

約1ヶ月の籠城。砲撃にも耐えた、難攻不落の名城・鶴ヶ城ですが、藩の斗南移封によって誰もいない廃墟となっていました。その後、陸軍の拠点として活用されることが決まりますが、砲撃を受けてボロボロになっている城の修理は地元で行うよう命じられたため、逆に取り壊すことの要望が地元より噴出し、1874年(明治7年)鶴ヶ城の取り壊しが決定しました。
その後、昭和40年に鶴ヶ城が再建され、平成に入り飯櫓・南走長屋の復元や現在の赤瓦の姿に復元されました。
戊辰戦争当時、本丸にあった茶室「麟閣」と「御三階」は会津若松市内に移築保存され、茶室「麟閣」は平成2年に鶴ヶ城再建の際にもとの場所に移築復元、「御三階」は阿弥陀寺に今も残されています。

関連する先人

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松平 容保
会津藩9代藩主 京都守護職

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遠藤 敬止
鶴ヶ城趾保存の恩人